表現の自由の拠り所
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自分も創作者として、表現の自由を断固擁護することは言うまでもありません。しかし、表現の自由だけを、それも漫画・アニメ・ゲームの自由だけを殊更強調する政治家は、信用しないようにしています。それというのも、最近の論調を見ていると、表現の自由の根拠がそもそもどこにあるのかを履き違えているような気がしてなりません。まるで表現の自由こそが至高であり、基本的人権よりも優先するといったような、明らかにおかしな言説が散見されます。
自分は法律の専門家ではありませんから、あまり難しいことは分かりませんが、表現の自由を主張できる法的根拠がどこにあるかと言えば、まずもって憲法にあることは、議論の余地はないでしょう。日本国憲法第21条にはっきり書いてありますから。
同時に、第21条は第3章「国民の権利及び義務」の中にあり、3章冒頭の第11条で国民の基本的人権の享有を宣言し、その内容として生存権、幸福追求権などの諸権利が列挙され、そこに結社の自由、言論の自由などと並んで「表現の自由」が含まれるという構造になっています。ですから、よほど変な解釈をしない限り、表現の自由は基本的人権の一部であり、基本的人権が保障されるからこそ、これも保障されるという論だてになるでしょう。
さらに、第12条に、基本的人権の行使については「これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」とされています。人権同士は当然衝突がありますから、「公共の福祉」すなわち他者の人権も相互に尊重しあう義務を課す、そして、この衝突を調整する場合に限り、国家に人権の制約を許しているわけです。
よって、誰の人権も侵害していないのに、権力の都合で表現の自由が制限されることがあってはなりません。表現規制に対抗する最大の根拠は、まさにこの点にあるはずです。ここを踏み外して、表現の自由だけに注視して人権を軽視するならば、自分の好きな漫画やアニメを守りたいだけの身勝手な要求と見なされても仕方ないでしょう。さらに、最大の根拠である憲法を蔑ろにしては、いくら表現の自由を叫んだところで何ら根拠を持たない戯言になってしまいます。
また、表現の自由が「批判されない自由」ではないことも当然です。自分の表現に対する批判に対して「表現の自由」を盾にするのはお門違いです。個人の人格を踏みにじり、生存を脅かす、悪しき表現に対して、カウンターとなる表現を行うのは当然であり、表現の自由の行使であるばかりか、「公共の福祉のために表現の自由を利用する」べき国民の義務とさえ言えるでしょう。
表現の力は決して小さくありません。時には直接の暴力をも上回る力を持ちます。言葉が人の精神を壊したり、死に至らしめることさえあるのですから。人権擁護なくして表現の自由なし。表現の自由を守るためにも、このことを肝に銘じなければなりません。
そして、表現の自由を含む基本的人権を断固守り、その拠り所たる日本国憲法を尊重し擁護する。この確固とした土台に立ち、表現の自由を守るために尽力したい。