荒野の創作砦

本音で物申します!

論説委員会

「荒野の創作砦」の見解を発表します。

創作に対する考え方のほか、日常生活で気になったことから、話題になったツイートや時事問題、政治、社会、思想まで、分野を限定せず率直に意見表明していきます。そういった話題が苦手な方、作者の本音暴露は見たくないといった方はご注意ください。

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創作者たる者の責務

掲載

 凶悪事件などの犯人がアニメやゲームを嗜んでいたことが発覚すると、事件にそれらが与えた影響が、マスコミなどでしきりに論じられます。それに対し「アニメやゲームの影響はない」という反論もなされます。

 この論点に対し、自分の結論を先に述べれば、これらの犯罪は、犯人個人の人格はもちろん、何より現在の社会、彼らを取り巻いていた環境、育ってきた境遇が複合して引き起こされたものあり、彼らがアニメやゲーム等の創作物から受けた影響は「主要な」原因ではありません。よって、犯罪の要因を専ら犯人が触れていた創作物に求める論調は、社会の側の問題から目を逸らし、それを解消すべき政治の責任を創作物に転嫁するという点で許されない、という立場をまず明確にしておきます。

記事の挿絵があります。

 ですが、創作物はまったく影響がない、という意見には断じて賛同できません。なぜなら、創作者として、「己の創作物が現実の社会、他人の思考や行動に影響を及ぼすことはない」と主張することは、自分の創作物には何の意義もない、と主張しているように思えるのです。これは極端に言えば、創作者としての自分自身を否定する行為ではないでしょうか。少なくとも自分は、そのような主張は絶対にしたくありません。

 創作物には、少なからず人の心を動かす力がある、これが自分の創作活動の一番根っこにある原動力です。もちろんこれは必ずしも、社会を変えるなどといった大それたものではありません。その作品に触れた人が癒されたり明るい気持ちになる、笑いで活力を得る、これらは創作物が受け手に影響を与えていることに他ならないでしょう。そうである以上、創作物のプラスの影響だけを見て、マイナスの影響はないなどと主張するのは、あまりにご都合主義で、現実を見ない話です。

 自らの創作物が与える負の影響を直視して、それをできる限り取り除くか、あるいはそれを上回る正の影響を生み出すことは、創作者としての義務だと思います。これは決して、負の描写、例えば絶望や悲惨さ、残酷な場面を描くべきでない、ということではありません。戦争を描こうと思えば、その悲惨さ、残酷さを描いて然るべきで、その描写を避けて、存在しないかのように描くことは真実に対する欺瞞であり、無責任の誹りを免れないでしょう。あくまで、人を不快にさせることそのものが目的の悪意の作品や、ただ「売れるから」という理由で、創作物の負の影響に何ら配慮しない、こういったことはあってはならないと言いたいのです。

 同じ作品が受け手によって正反対に解釈される場合もありますし、何を不快に感じるのかも人それぞれですから、法で一律に規制したりすべきでないのは当然です。ですが、受け手に悪影響を与える作品は批判されて然るべきで、適切に批判していくべきだと思います。そして創作者である以上、批判に対して、悪影響を押してまでその作品を世に問うべき理由は何なのか、受け手に何を届けたかったのか、それを臆することなく答えられるべきで、さもなくば批判を真摯に受け止め、作品を撤回するくらいの自覚が必要でしょう。

 これは何も、所謂「意識の高い」作品であれ、ということではありません。ありとあらゆる創作物が社会正義を説くようなものばかりだったとしたら、それはそれで怖いですからね。ギャグなら笑いそのものは立派な目的ですし、読者に性的快楽を届けたいならそれもそれでいいのです。ただ、己の作品の悪影響を認識しながら「嫌なら見なければいい」と言って受け手に責任を転嫁したり、まっとうな批判に正面から向き合わないのは許されません。改善すべき点は改善すべきなのです。

 無論、自分自身がそれをできているかと問われれば、まだまだ及ばない状況ですが、そのような方向を目指して努力していることだけは自負しています。

 創作物を通して、受け手に何を与えたかったのか、そして社会に何を問いたかったのか。それを恥じることなく堂々と主張し、納得させられるだけの作品を創れるよう、精進していきたいものです。

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