荒野の創作砦

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抑止力という虚数解

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抑止力という言葉がよく使われます。特に、核兵器の問題や米軍基地の問題で。

これらの文脈では、おおまかに言って「攻撃された際に反撃する力を保持することによって、相手に攻撃を思いとどまらせる」という意味で使われているようです。「もし攻撃してきたら反撃するぞ、だから攻撃するなよ」というのは、一見すれば尤もらしい理屈ですね。ですが、これが成り立つためには、いくつか重大な前提があります。

記事の挿絵があります。

まず、互いに反撃を恐れる理由があること。当然ながら、まったく反撃を恐れない、反撃を意に介さない相手には抑止力は無意味です。命を顧みず、飛行機で敵に突っ込んだり、爆弾を抱えて特攻するような勢力であれば、いくら反撃で脅したところで抑止はできないでしょう。

例えば、テロ攻撃に対しては、核抑止など全くの無力であることは最大の核保有国であるアメリカ自身が証明しています。以前、何かの番組で「核兵器を廃絶したら抑止力がなくなって、血で血を洗う地上戦が始まる」などという主張をしている人がいましたが、もしその状況認識が正しいなら、全ての国が核兵器を持って抑止し合ったところで「血で血を洗う」テロ合戦が始まるだけでしょう。

2点目が、抑止し合う両者の力が対等であることです。1点目とやや重なりますが、たとえ反撃があっても、それを無効化できる技術があったり、反撃を意に介さないほど圧倒的な力があれば、抑止力は機能しません。圧倒的な力を持っているほうが、いくら「これは抑止力だ」と主張したところで、他方にとっては相手を抑止できないわけですから、抑止は成り立たないでしょう。

片方が反撃を恐れることなく先制攻撃が可能なら、それは抑止でも何でもなく。力を持ったほうが意のままにできるというだけの話です。ひいては己の思い通りにしたいために力を求める身勝手な要求に過ぎません。「抑止力」が平和を保つと主張する以上は、相手にもそれを認めなければならないでしょう。

そして最後に、これが最も重要な前提条件ですが、絶対に先制攻撃がなされないこと。これは、意図的な「攻撃」に限りません。抑止力によって平和が維持されるためには、誤解、あるいは不本意な衝突から偶然の事故に至るまで、攻撃と見做され得る一切の行動をしないことが完全に保障されねばなりません。

殊に、核抑止については寸分たりとも例外は許されません。ことは人類の滅亡につながりかねない問題です。誤作動やシステムのバグ、テロ行為、災害、人的ミス等含め、いかなる「想定外」もあってはなりません。果たして、これを保障することなどできるのでしょうか? 技術者である自分の立場からすれば、答えははっきりと「ノー」です。非現実的です。

ですが、この前提が完全に満たされない限り、「核抑止力が平和を保つ」など机上の空論に過ぎないでしょう。

このように言うと、「間違いだったら間違いだと相手に説明すればいいじゃないか」と思われるかも知れません。

素晴らしいですね。核攻撃を受けても「間違いだった」と説明すれば納得してくれるほど、話の分かる相手なんですから。そうでしたら、領土問題だの歴史認識がどうだの、その程度の問題はなおさら話し合って解決できますね。そんな相手ならそもそも武力で抑止し合う必要などありません。平和を保つ方法は、どのみち突き詰めればここに行き着かざるを得ないのです。これは核兵器があってもなくても変わりませんし、核兵器の存在は、これが失敗した際の結果を悲惨なものにするだけです。

とどのつまり、抑止力というのは、実際には存在しない力に、尤もらしい名前を付けて、これが最適解だと主張する、というのが実態だと思います。今回述べたように、これらは、現実には決して前提条件が満たされることのない虚数解に過ぎません。昨今の情勢を見るにつけ、「抑止力」ほどあやふやで空虚な力もないな、と思う今日この頃です。

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